
酸ヶ湯温泉
Sukayu Onsen八甲田山中の一軒宿。160畳の総ヒバ造り「千人風呂」の強酸性硫黄泉で名高い混浴の名湯。
一軒宿、三百余年
酸ヶ湯温泉は八甲田連峰の西麓、標高およそ九〇〇メートルの深いブナと青森ヒバの森の中に、たった一軒だけ建っています。創業の伝えは貞享元年(一六八四年)。横内村の猟師、長内左衛門四郎が傷ついた鹿を三日のあいだ追ったところ、湧き出る湯のかたわらで鹿が元気を取り戻していたという話で、当初は「鹿の湯」と呼ばれていました。湯の強酸性が知られるようになって「酸ヶ湯」と書き改められたといわれています。江戸から明治、大正にかけては源泉ごとの湯主が小屋を構え、組合方式で湯治客を受け入れていましたが、昭和八年(一九三三年)に株式会社として一本化されました。昭和二十九年、厚生省は酸ヶ湯を「国民保養温泉地第一号」に指定します。泉質の優秀さ、湧出量の豊かさ、収容力、清浄な環境、交通の便、低廉な料金が評価された結果でした。自炊で長く湯に浸かる湯治の文化は、いまも変わらず続いています。
ヒバ千人風呂
訪れる人の目当ては、なんといってもヒバ千人風呂です。総青森ヒバ造り、柱のない一六〇畳の大浴場で、天井は四メートル近くまで吹き抜けています。一室のなかに四つの源泉が引かれ、熱の湯、冷の湯、四分六分の湯、立ち湯の鹿の湯、そして打たせ湯の湯滝という五つの浴槽が並びます。湯は強い酸性の硫黄泉で、白濁し、熱めです。古くからの混浴を守り、女性専用時間が朝と夕に設けられています。大浴場に入りにくい方のためには、別に男女別の小浴場「玉の湯」も用意されています。
雪の山と八甲田の記憶
八甲田は世界でも有数の豪雪地帯で、宿に至る道路は春先まで雪壁に挟まれ、屋根そのものが積雪荷重を前提に組まれています。同じ山域は、明治三十五年一月、歩兵第五連隊が田代温泉を目指して進んだ雪中行軍で一九九名の犠牲を出した近代日本登山史上最悪の事故の舞台でもあります。馬立場に立つ後藤伍長の銅像、青森市幸畑の陸軍墓地、そして併設の八甲田山雪中行軍遭難資料館が、その記憶を今に伝えています。雪が解ければ宿の裏手から登山道が八甲田の峰々と十和田八幡平の高原へとつながり、源泉の上の湿原を歩く自然観察路も整備されています。
この温泉地の施設
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近隣の温泉地
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参考・出典
- 国民保養温泉地 酸ヶ湯温泉旅館(公式サイト)official— 一軒宿。旅館棟と湯治棟に分かれる構成。
- 温泉の歴史(酸ヶ湯温泉公式)official— 貞享元年(1684)発見伝承、江戸期の組合運営、昭和8年の株式会社化、昭和29年の指定経緯。
- 青森「酸ヶ湯温泉」の名物・千人風呂で湯治気分を味わう — nippon.com— 千人風呂内の四源泉と浴槽配置、混浴の伝統について。
- 八甲田雪中行軍遭難事件 — Wikipedia— 1902年の歩兵第5連隊遭難事件と馬立場の銅像、八甲田山雪中行軍遭難資料館。
- 酸ヶ湯温泉 — 八甲田山九湯会— 八甲田山麓の温泉地としての位置づけと周辺九湯の文脈。