
洞爺湖温泉
Tōyako Onsen活火山・有珠山のふもと、洞爺湖畔の温泉地。洞爺湖有珠山ジオパーク内。夏の毎夜の湖上花火が名物。
一九一〇年の噴火が生んだ湯
洞爺湖温泉の湯は、町の歴史よりも新しい。明治四十三年(一九一〇年) 七月、有珠山北西麓の金比羅山一帯に四十五もの火口が次々と開き、 マグマと洞爺湖畔の地下水とが触れて水蒸気爆発を起こした。北麓では地殻が 最大で百五十メートル余り隆起し、のちに四十三山と呼ばれる新たな小山が 立ち上がった。噴火が静まったあと、湖岸からはそれまでなかった熱泉が湧き はじめ、その源を中心に旅館街が形づくられていった。山はその後も土地を 書き換えつづける。昭和十八年から二十年にかけては麦畑の隆起から 昭和新山が生まれ、郵便局長三松正夫がその成長を一日ごとに 記録した。一九七七年には山頂で噴火が起き、二〇〇〇年三月には西麓に 六十を超える新たな火口が口を開けたが、事前避難の徹底によって人的被害は 出なかった。二〇〇九年、この一帯は洞爺湖有珠山ユネスコ世界ジオパーク として登録された。
カルデラ湖畔の宵
町は直径約十キロのほぼ円形のカルデラ湖の南岸にあり、対岸の西には 雪を頂いた羊蹄山が円錐形にそびえ、すぐ背後には今も湯気を上げる 有珠山が控えている。四月下旬から十月末までの半年あまり、 湖上では毎晩、舟から打ち上げられるロングラン花火が約二キロを ゆっくりと移動しながら夜空を染める。日中には町なかに地熱の名残が 顔を出し、湖畔の遊歩道には無料の足湯がいくつも設けられている。 旅館街のすぐ外れからは、金比羅火口と西山火口を結ぶ 散策路がはじまり、二〇〇〇年噴火で避難を迫られた住宅地を抜けて ゆく。土砂に半ば埋もれた公衆浴場、傾いだ団地、断たれた橋―― それらは噴火当時のまま遺構として残され、その間を木道が縫う。
ロープウェイと首脳の年
東麓からはロープウェイが有珠山の稜線まで上がり、晴れた日には カルデラと太平洋、そして今も白い噴気を上げる昭和新山の溶岩ドームを 一望できる。湖を見下ろす尾根の上には、二〇〇八年北海道洞爺湖 サミットの会場となったホテルが今も建ち、ビジターセンター脇の 小さな記念館が、火山の年代記とならんでその一週間の記憶を伝えている。
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50km圏内参考・出典
- 洞爺湖温泉観光協会 公式サイトofficial— 地元観光協会。ロングラン花火大会の運行期間や、ジオパークとしての位置づけの出典。
- 洞爺湖有珠山ユネスコ世界ジオパークofficial— カルデラ地形と「火山と共に生きる」という保全理念の典拠。
- ウィキペディア — 有珠山— 1910年・1944年・1977年・2000年の噴火経過、四十三山の隆起についての確認元。
- 洞爺湖町 火山科学館 — 近年の噴火(明治以降)— 明治新山形成と西山火口域の散策路、保存された被災遺構についての地元資料。
- 内閣府 防災情報 — 1910年有珠山噴火— 1910年噴火の経過、火口数、泥流被害および温泉湧出に関する記録。


