
下田温泉
Shimoda Onsen伊豆半島南端の港町。1854年のペリー来航で知られる開国の地。硫酸塩泉と太平洋を望む宿が並ぶ。
黒船が開いた港
下田は、日本が「鎖す国」をやめた町です。嘉永七年(1854年)、ペリー提督は九隻の艦隊を率いて再び江戸湾に現れ、三月に結ばれた日米和親条約は、伊豆半島南端の静かな湊であった下田を、米国に開く二つの港の一つに指定しました。ペリー艦隊は南下して下田を検分し、六月には了仙寺において十三箇条の細則、いわゆる下田条約が取り決められます。安政三年(1856年)、初代米国総領事タウンゼント・ハリスが上陸し、町の北端に位置する曹洞宗の古刹・玉泉寺に居を構えました。寺の境内はすでに港で病没した米水兵の墓地として用いられており、玉泉寺は昭和二十六年に国の史跡に指定されています。湾岸の本町と、蓮台寺・白浜・観音・河内・相玉の五つの温泉地に広がる湯は、いずれもそれ以前から土地の人々に親しまれてきた源泉に拠るもので、いくつかの旅館は江戸末期から明治にかけての家系を今も伝えています。
海鼠壁と太平洋の青
物語を抱えるこの町は、海に開け、椰子が街路に並ぶほど一年を通じて温暖です。旧港界隈には、黒い瓦を白漆喰の格子に伏せた「海鼠壁」が今も残り、上陸記念公園から了仙寺へと続く石畳の小径――ペリーロードに、その意匠がもっとも濃く保たれています。湯は十五本の源泉から摂氏五十五度前後で湧き、五つの温泉地に分散して引かれているため、旅館の風景もまた一様ではありません。蓮台寺の渓流沿いの宿、白浜の海辺のリゾート、観音や河内の静かな小さな宿と、それぞれに異なる呼吸を持ちます。太平洋岸でも屈指の透明度を誇る白浜大浜と多々戸浜は、いずれもバスで数分。前者は約七百メートルの白砂と海上の鳥居、後者はサーファーに愛される入り江です。
ペリーロードと五月の祭
開港の主要史跡は徒歩でひと巡りできます。上陸記念公園、ペリーロード、了仙寺、そしてハリスとともに語られる女性・唐人お吉ゆかりの宝福寺。毎年五月には、昭和九年(1934年)に始まった黒船祭が三日にわたり開かれ、米海軍の代表団を迎えての記念式典、旧市街を行く時代行列、港を彩る花火が町を賑わせます。
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50km圏内参考・出典
- 下田温泉旅館協同組合official— 五つの温泉地と加盟旅館、泉質を案内する公式サイト。
- 玉泉寺(ウィキペディア)— 米国初代総領事ハリスの宿所となった国指定史跡。
- 下田の歴史(伊豆下田観光ガイド)— 幕末開港から近代までの市公式の沿革。
- 下田市(ウィキペディア)— 市の地勢、温泉地、産業の概観。
- 黒船祭— 五月に行われる開港記念祭の沿革と内容。

