
修善寺温泉
Shuzenji Onsen伊豆中部・桂川源流の歴史ある温泉地。修禅寺、竹林の小径、紅葉の朱橋で知られる。
独鈷で岩を打つ
修善寺温泉の開湯は、大同2年(807年)、伊豆を巡錫していた弘法大師(空海) の手によるものと伝えられています。桂川の冷たい流れで病んだ父の体を洗う少年の 姿に心を打たれた大師は、手にしていた独鈷杵(とっこしょ)で川中の岩を打ち砕き、 そこから湯を湧き出させたといいます。父子の長年の固疾はほどなく癒え、湧き出した 湯は独鈷の名を受け継いで独鈷の湯と呼ばれるようになりました。やがてその傍らに 修禅寺が開かれ、温泉街にもその名が定着していきます。寺は後年に曹洞宗へと 法系を移し、今もその伝統を守り続けています。
それから四百年の後、修善寺は政治史にもその名を刻むこととなります。鎌倉幕府 第二代将軍源頼家は、政争に敗れて母方の北条氏により当地に幽閉され、 元久元年(1204年)、入浴中に襲われて23歳の若さで命を絶ったと伝わります。 修禅寺の傍らには頼家の墓と資料館が静かに残り、頼朝の嫡子が湯の地で討たれた という史話は、岡本綺堂が明治末に書き上げた新歌舞伎『修禅寺物語』 (1911年初演)を通じて、今も人々の記憶に深く刻まれています。
桂川に抱かれた小さな湯の町
修善寺は伊豆半島の内陸、丘の襞に折り畳まれた小さな旅館街です。中心には 桂川(修善寺川)が流れ、その川中には、朱の欄干を巡らせた東屋の中に 独鈷の湯が今も湧き続けています。2009年に治水上の理由から19メートル下流 へ移設され、現在は入浴ではなく見学のみとなりましたが、川面に浮かぶ姿は依然 として温泉街の象徴です。そこから少し歩けば竹林の小径が桂川沿いに伸び、 低い円座のベンチに腰を下ろしてしばし耳を澄ませば、葉ずれの音だけが残ります。 旅館文化は典型的な伊豆の様式で、世代を継ぐ宿、会席料理、そしておよそ60〜 65度の弱アルカリ性の内湯と露天が並びます。
文人たちの逗留地
明治43年(1910年)8月、胃潰瘍の療養のため菊屋旅館に滞在していた 夏目漱石は、ここで大量の吐血に見舞われ、三十分の間意識を失います。 辛うじて一命を取り留めたこの出来事を、漱石自身は後に**「修善寺の大患」** と呼び、生への無条件の感謝を語りました。晩年の小説群はこの体験を抜きには 語れません。町には記念の石碑があり、菊屋も今に営業を続けています。修善寺 は東京から伊豆箱根鉄道駿豆線でおよそ二時間、伊豆半島周遊の拠点として 一泊、二泊が静かな旅程によく馴染みます。
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50km圏内参考・出典
- 修善寺温泉旅館協同組合official— 修善寺温泉の旅館を束ねる公式観光ポータル。
- 伊豆市観光情報サイト「独鈷の湯」official— 独鈷の湯の由来と、2009年に19メートル下流へ移設された経緯を伝える自治体ページ。
- 修善寺温泉 — ウィキペディア— 大同2年(807年)の開湯伝承、泉質、伊豆半島最古の温泉とされる位置づけについての概説。
- 独鈷の湯 — ウィキペディア— 独鈷の湯の構造、現在は見学のみとなっている運用についての参照。
- Shuzenji Onsen — 日本政府観光局(JNTO)official— 修禅寺、竹林の小径を含む温泉街の概要。

