
由布院温泉
Yufuin Onsen由布岳のふもとに広がる温泉地。湯の坪街道の散策と、金鱗湖の朝霧で知られる。
別府にならなかった盆地の町
由布岳の麓に湧く湯はずっと以前から使われてきましたが、観光地としての由布院は二十世紀の産物です。**大正14年(1925年)**に大分東線(現・久大本線)が延伸し、北由布駅(現在の由布院駅)が開業したことで、農村だった盆地にようやく小さな旅館が建ち始め、避暑地として知られるようになりました。
今日の町の姿は、昭和40〜50年代にかたちづくられたものです。1970年のゴルフ場開発計画に対して、地元の旅館主や医師らが反対運動を組織し、その後の無秩序な観光開発にも抗いました。やがて「由布院の未来を考える会」が生まれ、低層の旅館、田園風景の保全、住民が運営する音楽祭や映画祭という独自の路線を打ち出します。1975年の大分県中部地震で宿泊客が激減した後も、辻馬車を走らせ、農家を会場とする美術展を開くなど、別府とは異なる道を歩み続けてきました。
歩いてめぐる盆地
多くの旅人は由布院駅から歩き始め、金鱗湖で散策を終えます。儒学者の毛利空桑が明治17年(1884年)、夕日に魚の鱗が金色に輝くさまを見て名づけたと伝えられる小さな湖です。湖底からは温泉と清水の両方が湧き、晩秋から冬にかけての冷え込んだ朝には、水面から立ち上る霧が幻想的な景色を生み出します。
駅と湖を結ぶ湯の坪街道には、カフェ、工芸品店、小さなギャラリー、菓子店が連なります。一本裏に入れば景色は一変し、田畑のなかに数室だけの家族経営の旅館や静かな共同湯が点在し、盆地の縁には標高1,584メートルの由布岳がいつも見えています。別府の大規模な湯のスケールとは対照的に、由布院はあくまで歩く町。日本有数の湯量を抱えた農村の表情を、ゆっくりと味わうための場所です。
朝霧の金鱗湖
由布院を一枚の絵にするとすれば、晩秋の夜明けの金鱗湖でしょう。水面から立ちのぼる湯気、湖畔の天祖神社の鳥居、その背後にそびえる由布岳。霧が見られるのはおおむね11月から2月の、風のない冷えた朝に限られますが、博多や別府からの始発列車を満たすにはそれで十分な理由になっています。
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50km圏内参考・出典
- 由布院温泉観光協会official— 由布市ツーリストインフォメーションセンターが運営。エリア案内、旅館・散策マップ、年間イベント情報。
- 金鱗湖 — 由布市official— 金鱗湖の市公式ページ。明治17年(1884年)の儒学者・毛利空桑による命名、湖底からの温泉と清水の湧出に関する情報源。
- 日本一の「おんせん県」おおいたofficial— 大分県観光情報の公式サイト。
- 由布院温泉 — ウィキペディア日本語版— 戦後のまちづくり史、1970年のゴルフ場反対運動、1975年の地震復興の取り組みに関する情報源。




